生き物にまみれて暮らす主婦レポート in 東京

生き物に関する知識と、栄養管理士の資格などを駆使して日々試行錯誤しているダイアリーです。

みんないつか必ずしぬのになぁ、という話。

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あんまり詳しく書く気はないんですが、

いろいろと病を経験してきました。

だから、日々、身体にいいものを取り入れたりとか、適度な運動とか、気をつけてますが、

ここで書きたいのは、健康の話ではなく。


お金とか自殺とかそういった、ちょっと深い話です。

最近疑問に思っていることがあります。

よく、我先に、と、いろいろな場面で待てない人を見かけます。

信号待ちにしろ、なんにしろ。


そんなに急いでどこへ行く?

と思うと同時に、


みんなそんなに生き急いでいるけど、今見ている人たちは全員、100年後には死んでるだろうな、

と考えて、不思議な気持ちになります。


逆にとらえれば、

いつか必ずしぬからこそ、たくさん得したり楽しむために急いでいる。

と捉えるわけですが、


私が思うのは、


人によって時間の流れは明らかに違っている。


常に、急いでいる人は、1日があっという間に過ぎるし、

のんびりしている人は、1日が長い。

という感覚。


仕事をサボったり、いい加減にやったりするわけじゃないのに、
同じ仕事をするにも、

なんだか知らないけど急いで済ませようとする人。

普通にやって、いつも通り終わらせる人。

残る自由時間は、結局おんなじくらい。


前に、東京生まれ東京育ち東京住み


という記事の中でも、東京の人はお金と時間を同等くらいに考えている、

ということを書いたのですが、

時間が勿体ないということの意味としては、


生き急ぐことと、時間を大切にすることは同等ではない。

と、考えます。


自由な時間に、真実自分だけの楽しみに使うことと、

自由な時間にも、先々を考えているのでは、


どちらが、「楽しんでいる」かと言えば


やはり前者なんですよね。


楽しむ時間があると、充電できます。

だから、翌日のやることもはかどる。


今すぐなんとかしたい、


みたいな焦りの感情が根底になって、何かをやることと、

のんびりわくわくしながら次を待つ気持ちで、何かをやることとは、

天と地ほどの幸せ度の差がある。

と、私は思います。


同じ急ぐことの意味でも、

必死でとにかくやればいいや、

という意識でいるのと、

急いでいるけれど、芯では落ち着いている

という意識でいるのは、


全然違うし、


そういった、態度や想いというのは、なぜか、
見ている人にはわかるものですよね。

車に例えると、燃費がよいか悪いか。

そのスピードで、どこまで持つのか。


考えるより行動しろ。そうすれば人より先に行ける。

案ずるより産むが易し。

というような言葉がありますが、

それは半分は正論であり、半分は、間違いだなと。


人より先に行ったそのあと、何者でいたいのか。
産んだあと、どうしたいのか。


かなり先のことまで考えられる人は、そして、実現できる人は、そうはいない。

ながーい目で俯瞰すると、


今この時に、お金に執着したり、やたらと物事を急いだりすることが、

なりたい自分と一本で繋がっているかと言うと、

ハッキリ言って、全く関係ない。

と、思うのです。


冒頭に書いた、何事にも、我先にと、

そんなに急いでどこへ行く?


と、たまに感じる人たち。


明日が来るかもわからないし、

予定していた未来の先に病気や怪我や、

思わぬことが待っているかもしれないのに、


そんなに急いで、先を見たいのかなぁ、と。


自殺してしまう人は、

今この時が辛いから亡くなってしまうけど、

ながーい目で見ても、

自分の人生、

どこを探しても抜け道はないのだろうか。。


まあ、私も死にたくなった時はありますけどね。


生き急ぐことは、ちょっと怖いなぁ、と感じます。

健康にいいことも、悪いことも、

待てないことも、「今は」我慢できないことも、


いろいろあるけれど、どうせ100年後には自分はここにおそらくいない。

みんな、必ずしぬのになぁ。


なんか、もうちょっと、


のほほ~ん、と、したらいいのに。

というか、

明日が無事に来ただけでもラッキーなんだけど、

当たり前が、当たり前じゃなくなったら、


人はどうなるのかなぁ、と思います。

一度、人間は、そういう目に合ったほうが、
いいのかもしれないですね。

なんてね。


1日を大事に生きなきゃいけませんね。