生き物にまみれて暮らす主婦レポート in 東京

生き物に関する知識と、栄養管理士の資格などを駆使して日々試行錯誤しているダイアリーです。

生き物が出てくるブログを続けるにあたり。

このブログは、生き物にまみれて暮らす私のブログなので、生き物の話が多いですし、
ときには、今日投稿したように、生き物が亡くなりました、

という内容も書いています。(年始に申し訳ありません)


そういうことや、このブログの方向性や方針、再確認したことなどについて、

年始ということもあり、一度きちんと書いておきたいと思います。

読者様や、ブログにお越しくださった方へ、お時間があるときに、お読みいただければと思います。



このブログは生き物のことの他にもいろいろなことを書いています。カテゴリもバラバラだし、共通項は、「日常的なこと」という部分だけ。

それでも、生き物のことはもちろん書きますし、書きたいし、生き物がいて当たり前な生活のことについてたくさん発信していきたいと思っています。

ただ、それにあたり、避けて通れないのが生き物の病気や、死の話で、
永遠に生きる生き物はいません。人間ももちろんですが。


問題なのが、亡くなったことを書いていくのか、書かないのか。
つまり、なるべく真実そのまま、ありのままをお伝えしていくのか、
隠すべきところは隠すのか、

という部分です。



ブログというのは、人の目に触れた瞬間に、生を得る特殊なものだという認識が私にはあります。
日記ならばノートとペンでも書けるけれども、それをインターネット上のひとつの記事として書いたとき、それはただの一個人のみのための日記という役割を越え、もしかしたら誰かの目に留まり、なんらかの心理的リアクションを引き起こす可能性のあるツールに生まれ変わります。(と、私は考えています。)


そういう意味では、ブログを書くときには、ただの一個人を越えた責任も伴うと私は思っています。

責任を伴うということは、嫌なことや悲しいこと、辛いこと苦しいこと、といった日々の生活における自身のマイナス面をもし書いたとしたら、それをたまたま読んだ人がどのような心理的リアクションを起こすのかということについて、特にマイナスな感情に関してはより大きな責任が生じるということを考えなければなりません。
(あくまでも私自身の方針であり、マイナス面について書かれているブログを批判するものでは全くありません。むしろそういうブログは好きです。)

以下、一個人の勝手な解釈としてお読みください。

私が、マイナスな感情のほうが読んだ人の心理に、ブラスな感情よりも多大な影響を及ぼすと考える理由は、

プラスなもの、感情というのは人それぞれ、少しずつ違ってくる部分が多くあり、解釈の仕方も十人十色であることが多いけれども、

悲しい、辛い、怒り、などとといったマイナスなもの、感情というのは、大多数の人にとって深層心理的におそらくある程度の部分で共通・共感することが多いであろうと考えるからです。その先に受け取り手の人の解釈の仕方がありますが、割愛させていただきます。


マイナスな面をブログに書くことに対する責任の話に戻りますが、
私は、あまり怒りの感情をブログで現すことはおそらくないと思います。

(それもブログを書くにあたるまた別な方針ですがあくまでも自分自身のブログに限ります。)


が、悲しみについては、冒頭でも書きましたが生き物が亡くなった悲しみの話だけは、記事として書いていますし、書かないということはないのではないか、という点について、自分自身の再確認の意味と、このブログの方向性についての意味と、両方を込めてまとめていきます。長くなりましてすみません。


生き物の死というのは、ある人にとっては全く苦にならないものでありますが、また別な人にとっては同じように悲しみを感じたり、憤慨したり、可哀想にと感じたり、といった特殊な面があると思っています。人の死とはまた別な世界観があります。


ここで確認すべきなのが、全く苦にならない人の目に、亡くなったことの内容が触れることの心理的な重大性はさほどでもないかもしれない、
ということに対して、
似たような経験がある人や生き物が好きな人などが、亡くなったことの内容を目にすることで少なからず心理的にダメージを負うかもしれない、ということです。ここに非常に責任を感じます。

以下、私のブログについての方向性や、こんな風に日々思って書いています、という内容になります。


私は生き物にまみれて暮らす日々の生活を書くにあたり、生き物の死について、すべては書かないかもしれないけれど記事の中で書いた生き物に関しては亡くなったら書いていくであろうと思いますし、実際に書いたこともあります。


ただし、それは、いろいろな人と悲しみを共有したいから書くのではなく、(もちろん、悲しみを共有してくださる人にはとても感謝しております!)

もしかしたらその生き物(我が家のペット)の話をすでに読んでくださっていたかもしれない人へ対するご報告として書きますし、書いています。

しかし、書いたからにはいろんな人の目に触れる可能性もあるため、

私が生き物の死について記事として書くときには、
もしかしたらとても淡々と書いていて冷たい印象になるかもしれないということについても触れておくと、

私なりに解釈することは、まず、仕方がないということ。受け取られかたは人それぞれですから、まず自分のスタンスとしては、
記事として書いている生き物の死、亡くなったことの内容は、その生き物について記事にしてきたことに対するご報告であります。どんなに辛くても悲しくても書きます。

なので、私の悲しみを吐き出す意味合いではないということが、このブログの方向性です。

ですが、私も一応人間なので、ひどい悲しみももちろんあります。しかし、ひどい悲しみについてはあまり書かないですし、書いていません。

書いていません、というよりは、なるべく書かないように気をつけています。
その代わりに誰の目にも触れないところで泣いています。地獄ですが、きちんと、飼い主としてお別れしたいので、
大切にしている部分です。

そういう部分も書けばいいのかもしれませんが、このブログのもう1つの方向性として、

自分のマイナスの感情を書く場所ではなく、誰かの目に触れたときになるべくプラスの感情になってもらいたい、そういうブログを書いていたい、ということがあります。自分が書いていても楽しい、という部分ももちろんあります。


そのようなわけで、生き物の死にまつわること以外、マイナスの感情はほぼ出てきません。
実際のところはいろいろなことがあっても、そういうものがたぶんほぼ出てこないのが、もう1つの方向性です。


生き物の死にまつわる話に戻ります。(何度も脱線しましてすみません。)

読者様や、このブログにたまたまお越しくださった方へのお知らせとしまして、
もしも、今後も、亡くなりましたといった話が書いてあったとしても、

上記のような理由があるということをご了承願えれば、と思います。

大体このような感じで、
これからも生き物のブログを続けるにあたり、はじめに自分で決めた方向性で続けていきたいと思っています。

たまには、感情的なものも書くかもしれませんが、
一応このような方向性のブログにしております。

ただし、今回のように、年始などのときには、自重するべきだったと自分で思ったので、前記事をご覧くださった方がいましたら、陳謝いたします。



これからも、何卒、よろしくお願いいたします。




skyaya