人生論系記事を書きたくない理由。夜の戯れ言。
いきなりですが(いつもいきなり・笑)、私は元うつ病患者でした。
かなりヘビーなやつ。てんかんにもなりました。
一番はじめは、つまり、ちゃんと医師から
「あなたはうつ病だよん。すごいよん」
と御墨付をいただいたのは、かれこれ20年くらい前…?18だか19だかのときでした。
病名を正確に書きますと、
人格障害、とかもう、あなたは人としてまともじゃありませんね。
と言われてるようなもんでしたが、
原因は、たぶん高校生くらいの多感な時期に、人間関係でつまづきまくったこと。
ほんとに辛かったです。
日々、現実逃避。
そして、自傷癖。
自殺未遂。
最悪です。
うつ病を併発していたからか、朝起きれない。
というか、起きたくない。が正しい。
朝から絶望。
一時期は、30キロ台くらいまで激やせしました。
そういう状態をずるずる、20代までずっと引きずったまんま過ごしていました。いわゆる生き地獄、
というやつでした。
当時は今と違い、ブログではなくホームページを作る人が多く(そもそも他人に興味なしでしたが)、
私も大好きな詩のホームページを運営していました。あんまりよく覚えていませんが、何年間かずっと続けており、最終的に本にしていただきました。
それまでは、私は両親や、弟たちに半ば絶望?しており(勝手に)、
どうせ私なんか要らない家族。
みたいに勝手に思っていました。(実際は違ったのだろうけれど、用事以外は自室にこもっていた私を弟たちがよく思っていなかったことが非常に辛かった。)
しかし、詩を本にするときに、両親がとても喜んでくれて、いろいろ協力してくれたりしたことが、
とても嬉しかった&家の中に居場所を見つけることができていっとき幸せでした。
それでも、うつ病は治らないし、睡眠薬がないと眠れないしで、悲惨でした。(睡眠薬は今でも飲んでいます。)
うつ病の診断のちょっと前に、私はひどい事件に巻き込まれ、(女性特有と書けば大体わかるかと)、
そのときも、たぶんすでにかなり精神を病んでいたからか、あんまりショックすぎて逆にショックじゃないような感覚だったのをよく覚えています。
犯人は捕まったし、裁判もありましたが、
私は特別な配慮で証言しなくて済み、半ば他人事でした。刑事さんたちの捕り物劇がかっこよかったな、くらいの感想しかなかったです。
しかし、母は毎回法廷へ行ってくれていました。
いまだに言えませんが、心配してくれていたんだ、
と思い、日頃の私の不甲斐なさを申し訳なく思う反面、私という人間を見捨てないでくれている母に心底感謝していました。辛いけど嬉しかった。
その後は、うつ病も落ちつき、なんやかんやで、
だんだん客観的に自分を見つめられるようになり、
今に至りますが、はぁ~、長かったですね。
私にとって、18くらいから20代の時期というのはあまりよく覚えていないくらいの激動期?
ひたすら自分が嫌いな時期でした。2度と戻りたくないです。入院もしたし(1日で退院したけど)。
まあ、大体このような暗黒の青春時代を経て、今はおかげさまで穏やかに生活できていますが、
私が人生論系の記事を書きたくない、そういうブログにしたくない、というのはそんなところからきています。
まず第一に、人生論を書くと、おのずと過去の自分が思い起こされて死にたくなる。
死にたくなる、は今では比喩ですが、せっかく忘れ去った辛すぎだった長い過去をわざわざ人様にさらけ出したくない、のです。でも人生論を語り出したらたぶんやるだろうと思うので。
次に、あんまり辛すぎだったせいで、おそらく感覚が麻痺しているため、今青春真っ盛りの人や、ちょっと悩みがあるくらいの人の参考になるようなものが全く書けない。
それくらいなんなのさ。というスタンスにきっとなる。
そういうものは、辛すぎた人が書くべきじゃないと思うからです。
最後に、このブログは明るく書きたい。
いい加減うんざりなんですよ、自分がいかにしんどかったかとかを書くのが。
そういうのは、ずっと書いていたホームページでたくさん書いてきたから飽きたし、もういいのです。
このような理由で、私は自分のブログでは人生論系記事が書けない&書きたくないのです。
自分の黒歴史は表に出すつもりがなかったのに、勢いで書いてしまったなー。あとで後悔したら消します(笑)
でも、自分が書くのは無理だけど、人生論系の記事は好きですし、応援したくなります(^-^)v
以上、ふと書いてみました私の黒歴史&やっぱりブログは楽しく書きたいや、
的なお話しでした。
つまらないくらーい記事にお付き合いくださりまして、誠にありがとうございました。
明日からはまた、いつも通り、運営いたします♪
skyaya