生き物にまみれて暮らす主婦レポート in 東京

生き物に関する知識と、栄養管理士の資格などを駆使して日々試行錯誤しているダイアリーです。

唯我論について。



日曜日に久しぶりにだいぶゆっくりできました。

こんにちは、スイミンです(^^)


先週までで息子の夏期講習が終わり、

明日からは志望校別の錬成特訓です。


ずーっと真面目に頑張ってきた息子はちょっと時間が空き、余裕ができたのでパパと街中へサイクリングへ行き、

私はその間に家中の掃除とお買い物へ。


本日の夕食なり。


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牛しぐれゴーヤチャンプルー(今名付けた)と、じゃがいもと玉ねぎのかき揚げ、

キャベツたっぷりスープです。


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日曜日はスーパーも混んでいて、小さい子連れの、特に大変そうなのが、パパ

お母さんがお買い物中に延々と面倒を見て、子どもの相手をしてひたすら待っていて、

いや~、大変だなと。。。


家で待っていればいいかと言うと、それもできず、なぜなら、運転手だからかなと。

小さい子は、ママかいないと泣いちゃう子もいますしね。大変です。


そして、いきなり唯我論です。懐かしの、唯我論。


思い出したキッカケが、息子のある言葉で、最近、


人間は肉も食べるし犯罪は犯すし自分勝手だから生まれ変わりたくない、

(だから)僕は人の役に立つ仕事には就きたくない。

と、悲しいことを言うので、


人間はもともと雑食だから仕方がない、

猫だって肉食だよ?


人間なんて薄汚い生き物だけど、それを自覚して生きてればいいんじゃない?



「いや、薄汚い人間の役になんか立ちたくない。僕は生まれ変わったら他の生物になりたい。」

とかいう暗いはなしを(笑)、していたときがありました。

息子の、生き物の美しい、美しくないの基準が、どうやら主に、食べるものにあるらしく、(植物もいきてるんですけどね;;)

あとは、人間は大気を汚すので、


人間がいなくなれば地球は平和になる。


という思考があるらしく、だから人間の役に立つ仕事には就きたくない、


らしいのです(^-^;


地球的には人間は要らないのは私も、全く同意見なんですが、そのときに、唯我論のことを、ふと思い出したのでした。


注:この記事は無駄にちょっとだけ長いです。


唯我論は楽しい。


よく知らないかたのために、チラッと説明すると、

唯我論というのは、


実は今ここに(そこに)存在しているのは自分だけであり、他は何者かが、

或いは何かが、自分に見せている虚構である(人間も生き物も景色も何もかもすべて)


というのが簡単で単純な説明です。ハマる人は若い頃などにハマりますよね。考えても考えても、答えがないので、どこまででも発想は続きます。


作家の、清水義則さんなども、パスティーシュとして書いてますし、

映画にもよく出てくる発想です。


パラレルワールドと似ているけれど、実は根本的に全く違う考えかたです。


そこで、私が想像した唯我論に基づく世界を再現してみました。



行ったことがない場所は存在しない


先に書いた清水義則さんの本と全く同じ内容になっちゃうんですが、

自分が実際に行って、見てきた場所以外は存在せず、そういう場所があるんですよ、とわざわざテレビでやっているのは、

日本という国がある。

と思い込ませるためだけ。


つまり、行ったことがない国も存在しないわけです。

なぜそんなことをしなければならないのかは不明で、そこも唯我論のロマン?です。


このへんは、

誰もいない山奥で木が鳴っても、その音は存在しないのと同じ

というような考えかたと同じですね。人間(自分)が主体であり、他の生き物は出てきません。

もはや、これも唯我論だと思います。



唯我論、変化バージョン


他にも、周りの人間がそもそも偽物だから他の人間は存在せず、


さらに言うと実は自分の体もなく、実験室みたいなところにホルマリンのように、特殊な液体に浸かった自分の脳だけが管理されていてすべてが夢、

なんていうところまで発展できますが、


それだと普通?でつまらないので、自分なりにアレンジしてみました。
というか、唯我論が面白いなと思っていたもっと若い時期にアレンジしてみた内容です。


まず、

自分はいる。


周りの人間もいる。

地球にいて、太陽も宇宙もホンモノ。


でも、それが偽物。


という発想です。ホラーちっくになってきた(笑)


唯我論自体がある意味ホラーだと思うんですが、さらにホラー。


自分だけが、おかしいんです。


何が、というと、

周りの人間の知る地球や、宇宙、この世界と、

自分が知るそれが、ちょっと違うということです。


例えば、他の人間には確実に見えている物体が見えていないとか。


鳥が3羽飛んでいるとしたら、自分には2羽しか見えない。

影の長さが倍くらい違ったりする。

色については、色彩異常などもあるので関係ないことにして、


触ると自分はザラザラと感じるものが、「通常は」つるつるしている。


そして、それらのことは、日常の中で、あまりにも些細なことなので、死ぬまで永遠に気づかない。


ところが、ごく一部の研究者などは、知っているわけです。


この人間は「アレ」だなと。


アレ、というのがつまり、普通ではないということで、わかる人にはよくわかる何かの特徴があり、生れつきわかっちゃったりするわけです。
(誰かが途中で気づいたりもしたりする。)

そうすると、自分にとっては当たり前のことが、実は周りと少しずつだけ違うため、

「自分」は、生きながらにして、


唯我論まっしぐら。


という発想です。気が付かない系唯我論です。(もはや論って言えない……)


それで特に困ることはないんだけれど、そういう人間がさらに増えては困るので、常に監視されている状態。とか。


困る理由は、人間のカテゴリーからズレる要素があるかもしれないから。


映画で言えば、XーMENとか、突然変異種(ミュータント)が過去に誕生したことがあったかなにかで、増えてはめんどうである。


ミュータントは人間の世界の均衡を崩すから、殺しはしないけれど常に監視下に置いている。


病院へ行くと、実は極秘のリストがあり、診察データはすべてそういう機関へ送られる。

というような人生(生活)。

または、監視下にも置かれず、そういう機関もなく、ただ自分だけが気が付いていないだけ。

これなら、有り得なくはないと思ってしまう私です。



もうひとつアレンジ。


自分以外は全員、実は宇宙人(笑)。

さすがにこれはつまらないと思いますが、


ちょっと書いててかなり疲れてきましたー。

とにかく唯我論というのは果てしなく広がる世界で、この論理を有効に使うとしたら、

現実逃避したいときにピッタリです。


対1対全体、とか、対ごく少数対全体、という構図は、どちらかが善で、どちらかが悪、という構図としてよく使われますが、

私が思うに、


人間というのは、善と悪の中間層が1番多く、それをグレーゾーンとするなら、

世の中はグレーゾーンでほぼ回っているため、


息子が言うように、人間は確かに醜いし、勝手だし、自己の利益を全く考えない人はほぼゼロではありますが、

だから人間なんじゃないかなと。


善でしかないのはロボットです。その逆もまたしかり。


唯我論、とか、なんとか論、を思い付くのもすべて人間で、人間は自分にとって不必要なことや、興味のないことは思い付かないので、

やはりグレーなんですよねぇ。


だからそのままでいいんだよ、と息子にうまく伝えたいんですが、

彼には彼なりの考えかたがあるから、まあいいか、


と、長くなってしまって疲れたので思いました(笑)。

ひとつ言えることがあるとすれば、


人間なんて宇宙から見たら砂粒にすら見えないのが現実なんだから楽しく生きなさい、

という感じです。

暇潰しに、唯我論に浸ってみると、面白いかもしれません(^^)

ただし、浸りすぎ注意です💦


清水義則さんのおすすめ小説です。


蕎麦ときしめん (講談社文庫)

蕎麦ときしめん (講談社文庫)


生き方レクチャー系も出してらっしゃるのですが、この人は小説が断然面白いです。




長々と、お読みくださって、ありがとうございました(^^)



スイミン(id:skyaya)2018/08/19